氷見・高岡へ万葉の旅⑩―万葉線
土蔵造りの町並みを堪能した後、高岡駅に向かう途中で出会ったのは路面電車。高岡軌道線と新湊港線を併せた鉄道は、昭和55年(1980)から「万葉線」の愛称で運行されているのだそうです。
「万葉線」とは、かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が「万葉集」を編集し、数多くの歌を残したことに因む名。このブログ記事のタイトルを「氷見・高岡へ万葉の旅」としたのも、もちろん家持を意識してのことです。
車体の横には「初春令月氣淑風和」と書かれていました。これはもちろん、新元号「令和」の出展元を「万葉集」とされたことへのアピール。ただし、この一節は歌ではなくて、大伴家持の父・旅人が中心となって太宰府で開かれた「梅花の宴」で詠まれた「梅花歌三十二首」の序文。これを出典元とするのには、かなりの無理があると考えますが・・・。
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