『半分、青い。』岩村城下町を歩く⑳―藤川家
次に立ち寄ったのは、かつての御用商人・藤川家でした。
藤川家は江戸時代のはじめ屋号を松屋といい、材木や年貢米を扱う藩内でも有数な商家でありました。坐敷に通ずる縁は、岩村城の遺構の一部が使われており、裏手、蔵にはさまれた荷駄の通用門をくぐると、その昔、三千俵の米を納めたと言われる米蔵が扉をつらねています。(「岩村城創築八百年祭実行委員会建之」の解説看板より)
正面玄関の向かって左手に張られた紺色の布は日除け暖簾。冬には風を防ぐ役にも立ち、染め抜かれた屋号が店の装飾や看板として利用されていました。
右手にはしとみ戸が残され、「坐敷に通ずる縁は、岩村城の遺構の一部が使われており」の縁とは、多分ケヤキ板が使われているこれだろうと思います。
2階に上がれば、3面にガラス戸がはめられた明るい部屋。窓を開ければ、「三千俵の米を納めたと言われる米蔵」を見下ろすことができました。
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