次に立ち寄ったのは、原田久吉翁が米寿の記念に詠んだ「数つ美(み)て ほ古(こ)らぬ穐の 米俵」の句碑。現在の句碑は平成13年(2001)3月に再建されたものですが、句碑が建てられている道は旧中部小学校に通う児童たちのために、原田翁が私財を投じて整備した通学路なのです。
「穐」は「秋」のこと。原田翁の出身地、中部には大火に見舞われた歴史がありますので、そんな大火の記憶が「火」の字を嫌い、めでたい「亀」の字を使ったものと思われます。
小学校を造る資金を提供するだけに終わらず、通学路を整備し、さらに幻灯機やブランコ、すべり台まで寄贈しているのは、原田翁の寄付が自らの成功を誇示する自慢げな行為ではなく、真の郷土発展への貢献として何をなすべきかについて、深く考えてなした行為であることを物語っています。