原田久吉翁は天保8年(1837)、佐久間町中部(なかべ)の松井家に生まれ、原田家へと養子に。その後、横浜に出て西洋建築を学び、成功を収め、昭和4年(1929)に他界したため、横浜市神奈川区の本覺寺に葬られています。
しかし、中部にある宥泉寺にも「原田久吉翁之墓」があります。墓碑銘は原田翁の息子・原田久太郎が書いた文字。この日(5月15日)に私が案内した玄孫の原田さんは、久太郎の兄弟・藤次郎の家系になります。
そして、宥泉寺の寺名額は「大正三甲寅年四月」に原田翁が奉納したもの。大正3年(1914)は、同2年(1913)9月に起工し、同4年(1915)4月22日に落成した原田橋建設の真っ最中。原田翁の生まれて育った佐久間町中部(なかべ)への熱い思いが込められた寺名額です。