「下百古里の将軍杉」を訪ねる②―北遠の「箸立伝説」
天竜区下百古里(しもすがり)、坂上田村麻呂が差した箸が育った「将軍杉」で知られる武速神社の祭神は、武速素戔嗚尊(たけはやすさおのをのみこと)。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治してクシナダヒメを救ったと伝えられる素戔嗚尊が、クシナダヒメのことを知るきっかけになったのも、川上から流れて来た箸でした。
日本人が箸を使うようになったのは、いつ頃からだったのでしょう?3世紀末に書かれたという『魏志倭人伝』によれば、当時の「邪馬台国」では箸を使わず手で飲食していると書かれています。2本で1膳の箸を使うようになったのは、仏教伝来の頃からではないか、と言われています。だとすれば、それは古くても6世紀中頃。しかも、食事の習慣としてではなく、仏教の作法として伝えられたものです。
主に仏事・神事に限って使われてた箸が、朝廷の食事作法として取り入れられ、それが一般にも広まっていきました。やがて、箸に始まり箸に終る箸文化が日本人の間に定着。家庭では自分用の箸を持ち、外食の際にも箸を持参するというマイ箸も、日本人ならではの習慣です。
ところが、昔は山に出かける時に、弁当は持って行っても箸は持って行かなかったそうです。だから、弁当を食べるときには、山の木で箸を作っていました。そして野外の食事で使った箸は、縁起上2つに折って捨てなければいけないという伝承があったそうです。
全国各地に、高僧や武将が地面に差した箸が育ったと伝えられる「箸立伝説」が残されています。では、行基や坂上田村麻呂は、どうして箸を地面に差したのでしょうか?
その理由を、神を迎える依り代として棒や木をたてる習俗の変化したものと考えられているようです。しかし、もしかしたら、挿し木によって杉を増やす造林方法を伝えたものと考えるのは・・・?多分、考え杉(過ぎ)でしょうね。
北遠の「箸立伝説」は、佐久間の「二本杉峠」、「船明の二本杉」とこの「下百古里の将軍杉」に残されています。
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