磐田に残る家康の足跡⑥―兜塚古墳
逸話の中には、史実とは異なると思われるものがたくさん残されています。しかし、思い付きの逸話だったとしても、長年言い伝えられている裏には、地元で暮らす人たちの思いが込められているのは間違いのない事実。兜塚古墳なども、そんな例かも知れません。
「兜塚」の名の由来には、一言坂で武田の軍に追われて退却する徳川家康の家臣本多忠勝が、古墳のある場所の木の枝に兜を掛けたことによる、と伝えられてはいます。
ところが、現地に建てられた看板には「名前の由来 兜塚古墳は古くから兜塚の名前で知られており、古墳の形が兜を伏せた状態に似ているところから、この名前が付けられたといわれています。」と、逸話の内容を意識したような解説が書かれています。
兜塚古墳は円墳で、見ての通り兜の形。「家康の足跡」が残っているとは言えないかも知れませんが・・・。
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