磐田に残る家康の足跡③―大日堂と家康御手植の蜜柑
三ヶ野山には「古戦場 大日堂」の解説看板が建てられています。
戦国時代の始めごろは、遠江地方は駿河の今川氏の支配下におさめられていたが、今川氏滅亡後は今川氏に代わって家康によって治められた。ところが、元亀三年(1572年)上洛を目指す甲斐の武田信玄が遠江へ進出し、木原に陣を布いた。これを迎え撃つため徳川勢は浜松城を出て、三ヶ野・見付宿・一言坂と戦った。この大日堂の高台には、本多平八郎物見の松と伝えられる大松が存在していた。この丘陵に立てば、太田川から遠く袋井まで一望でき、本多平八郎の物見もさぞやとうなずける戦国ロマンがただよう。
三ヶ野山で家康の足跡、面影を探していたところ、小さなミカンの木に目が留まりました。「この蜜柑の木は徳川家康が駿府に御手植になった蜜柑の木の子孫です。」
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