富山村・熊野神社を訪ねる①―佐久間湖の湖底に沈んだ集落
佐久間ダム建設に伴う「飯田線」佐久間駅~大嵐駅の路線変更により、水窪町にあった白神(しらなみ)駅、佐久間町にあった天龍山室(やんむろ)駅、豊根口停留場の3駅は、佐久間湖の湖底へと沈みました。
佐久間湖の下には廃駅となった跡地だけでなく、人々の暮していた集落までも沈んでいます。それは、浜松市側だけのことではなく、愛知県側でも同様。北設楽郡豊根村富山(とみやま)を走る県道1号飯田富山佐久間線沿いに、こんな看板が立てられていました。
眼下に広がる天竜川に沈んでいるのは、豊根村富山旧河内地区です。昭和30年に佐久間ダムが完成する前までは、村役場や郵便局があった旧富山村の中心地域でした。
旧富山村はダムの完成に伴い、集落の中心部の河内地区をはじめ、山中、佐多の各地区の大半が水没で消失することとなり、村の3分の1の世帯にあたる74世帯398人が離村を余儀なくされました。その後も離村、若者の流出は続き、昭和35年には日本一最小の自治体(離島を除く)となりました。
その後も、現在の豊根村(平成17年11月27日編入合併)と合併するまで、日本一小さい村であり続けました。
・・・との内容。県道1号から対岸を見ると、浜松市天竜区水窪町夏焼の山肌が「7月豪雨」により大きく抉れているのが見えました。
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