宝林寺佛殿の左手を奥に行くと、龍文堂と呼ばれるお堂があります。そして、そこにあった解説版には・・・
初山宝林寺「龍文坊さま」
今から三百年ほど前、祝田村には神童と呼ばれる子供がいました。その子供が。初代住職の独湛禅師と会ううちに、住職の偉大さを知り、僧になることを決意、名を「龍文」と改め禅師の弟子になりました。
その時代、寺には大勢の修行僧がいました。中でも龍文は非凡な才能を発揮し、禅師の補佐ができるまでになりました。
ある夜、龍文は裏山に入ったきり帰ってきませんでした。その夜、初山宝林寺の総本山で萬福寺の庫裡が火事になり、このとき「初山の龍文」と名乗る僧が火を消したと伝えられています。
この宝林寺が三百年も厄災もなく続いたのは、龍文さまの守護があればこそと、昔の禅堂の跡に「龍文堂」を建てました。
現在でも「火伏せ」「家内安全」「商売繁盛」の神として信仰されています。
・・・とのこと。
昔話には、「いにしえのまちづくりの会」が制作した切り絵が、挿絵として添えられていました。