先人たちが命がけで築いた水路や堤防によって守られている天竜川左岸の平野や農地―寺谷用水や社山疎水によって構成される磐田用水の水は、船明ダムで取水された天竜川の水。
現在の形になったのは、昭和4年(1929)に着工された磐田用水幹線改良事業の成果。磐田市見付の佐口行正さんからお借りした古い絵葉書の写真にも、当時の期待の高さを見ることができます。
「寺谷用水灌漑區域全景 神田公園ヨリ望ム」と「社山疏水灌漑區域全景(向笠村竹ノ内裏山ヨリ望ム)」は、ともに磐田用水幹線改良事業の起工式を記念して発行されたもの。撮影されているのは、磐田原台地の東西、天竜川と太田川に挟まれた地域の田畑です。
写真を見る限り、すでに田畑の区画は大きく、直線で区切られています。田畑の直線化は水の供給や排水を容易にし、機械化もしやすく米や野菜の増産にも貢献しました。
忘れてはいけない農業近代化の歴史。昭和41年(1966)3月、磐田用水幹線改良事業は完了しました。