朝霧高原から霧ヶ峰へ日帰り旅⑦―マンホール蓋とオオムラサキの花壇
前回、オオムラサキとは「次は、いつどこで会えるのでしょうか?」と締め括りましたが、臨時駐車場に向かう道路にあったデザインマンホールの蓋で簡単に会うことができました。
蓋には「ほくと」ではなく「ながさか」の文字。現在の北斗市長坂町は、合併前は北巨摩郡長坂町。背景の山は八ヶ岳、手前のダムのようなものは「三分一(さんぶいち)湧水」。古来、水の分配を巡り争いが絶えなかったこの地区に、武田信玄が湧出口の分水枡に三角石柱を立て、水を3等分し3方向の村落に平等に行き渡るよう利水し、争いを治めたというのが「三分一湧水」。
また、オオムラサキセンターに作られていた花壇のデザインもオオムラサキ。そして、再び「次は、いつどこで会えるのでしょうか?」。
関連記事