宮之一色から源平新田まで旧東海道を歩く⑧―西之島学校跡
若宮八幡宮境内の隣りの森下公園にあるこんまりとした土盛りの上に、「西之島学校跡」と刻まれた石碑が建てられています。
西之島学校とは・・・
明治3年(1870年)西之島の豪農、熊谷三郎馬は静岡藩士大久保侗(おろか)を招いて私塾を開いた。初めは自分の家で、次は近くの徳蔵寺、そして西之島学校へと発展した。当時は授業料は受益者負担であった。「いい学校を作ろう」を合言葉にして「縄ない資金」を奨励し、寄付を願って森本の大工斎藤源平衛を東京、大阪へ派遣して学ばせ、洋風三階建の本館を建設した。(「磐田のお宝見聞帳」より)
古い絵に見られる三階建の洋風建築が、どこに建てられていたのか正確には分かりませんでしたが、熊谷三郎馬の号「青城」は、今も磐田市立青城小学校の名に残されています。
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