宮之一色から源平新田まで旧東海道を歩く⑦―郷社
若宮八幡宮の鳥居前に建てられている石柱に刻まれている文字は「郷社若宮八幡宮」。若宮八幡宮は明治6年(1873)に近隣28ヶ村の神社が合祀され、「郷社」の社格が与えられた神社です。
拝殿・本殿のさらに裏側には、合祀された近隣の神社が「小宮」として祀られ、その中には、私が住む磐田市堀之内にある天白神社も。現在、天白神社は堀之内地内に戻って来ていますが、若宮八幡宮の「小宮」の中にも、依然として「天白神社 堀之内」の社が残されていました。
昭和2年(1927)発行の「神社資料」に記された経緯は、次の通り。
明治七年一旦郷社合祀セシモ明治十六年十二月十九日區民ノ情願ニ依リ許可アリテ舊社地ニ設ク
・・・しかし、諸般の事情(?)があり、昭和2年「神社資料」の写真にも写っているだけでなく、今なお「小宮」の形で残されているのが現実です。
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