東海道・小夜の中山峠を歩く⑧―一里塚跡
さて、先ずは西に向かい、日坂宿に向かって足を進めます。すると、道の左側に見えて来たのは一里塚跡。解説看板には「佐夜鹿(小夜の中山)一里塚」とありましたが、「佐夜鹿」とは明治初年、佐野新田・小夜中山・大鹿村が合併して、それぞれに1字を取って付けられた地名ですから、江戸時代のここは「小夜中山」だったはずです。
看板に書かれていた解説の中で興味深かったのは、江戸日本橋から小夜中山一里塚までの距離について。
慶長9年(1604)に一里塚が設置された当初、周辺の言い伝えから類推すると、当初は56里とされていたようです。それが、元禄3年(1690)の「東海道分間絵図」では52里、天保14年(1843)の「東海道宿村大概帳」では54里。
一里塚の位置が変更されたとの記録はないようですから、あくまでもルートの変遷によるものだろう、とされていましたが、日坂まで歩こうとしている私に影響はありません。
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