東海道・小夜の中山峠を歩く④―伝説「小夜の中山夜泣石」
久延寺に建てられた伝説「小夜の中山夜泣石」の解説看板によれば・・・
その昔、小夜の中山に住むお石という女が、菊川の里へ働きに行っての帰り中山の丸石の松の根元でお腹が痛くなり、苦しんでいる所へ、轟業右衛門と云う者が通りかかり介抱していたが、お石が金を持っていることを知り殺して金を奪い逃げ去った。
その時お石は懐妊していたので傷口より子どもが生まれ、お石の魂魄がそばにあった丸石にのりうつり、夜毎に泣いた。里人はおそれ、誰と言うことはなく、その石を「夜泣石」と言った。
傷口から生まれた子どもは音八と名付けられ、久延寺の和尚に飴で育てられ立派な若者となり大和の国の刃研師の弟子となった。
そこへえ轟業右衛門が刃研にきたおり刃こぼれがあるので聞いたところ、「去る十数年前小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったので、母の仇とわかり名乗りをあげ、恨みをはらしたということである。
その後弘法大師がこの話を聞き、お石に同情し石に仏豪を刻み、立ち去ったと言う。文化九年滝沢馬琴の「石言遺響」より
そして、右上の写真が久延寺の「夜泣き石」。ただし、本物の「夜泣石」は「小夜の中山トンネル」東口にあるもので、久延寺にあるのは、あくまでもよく似た石とされているようです。
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