東海道・中野町を歩く⑦―伊豆石の蔵
うなぎ料理「中川屋」通車場南。旧東海道沿いで見られる伊豆石の蔵は、「まっし蔵」と名付けられ「中野町を考える会」によって作品展や音楽イベント、寄席などの会場として活用され、地域を元気にするための活動の場として生かされているそうです。
かつての中野町は掛塚と並び、天竜川を筏で下って来た天竜材を、全国各地へと回送した拠点。江戸に向かった船は、船のバランスを保つため伊豆半島で伊豆石を積み込んで戻って来ました。
その伊豆石で造られた富の象徴とも言える蔵が、これら伊豆石の蔵。当時の交易の拠点であった証です。
明治25年(1892)に木材や鉱物などの輸送を考えた金原明善が国鉄天竜川駅から引き込み線を敷設して以来、天竜材はここで陸揚げされ、貨物輸送に切り替えられましたので、伊豆石の蔵はそれ以前に建てられたものと思われます。
中野町に残る伊豆石の蔵は他にも。右下の蔵は、安間町の金原明善生家に残されたものです。
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