東海道・中野町を歩く③―明治天皇玉座迹の碑
六所神社の堤防近くに立っているのが明治天皇「玉座迹」の碑。碑の前には「明治大帝御聖蹟」の石柱も立ち、解説看板によれば・・・
明治天皇玉座迹の碑
史 跡 明治天皇 中野町御休憩所跡
所在地 浜松市東区中野町
説 明 明治十一年、北陸東海御巡幸の際十一月一日、当所でご休憩された。御座所は金原明善の設立に係る治河協力社の建物内で明善夫婦を御謁見された当時の建物は明治二十五年十月焼失し建物跡の前面に玉座迹の碑を建立した。
浜松市の公式ホームページ内「歴史と文化の香る街 浜松市東区」で紹介されている「明治大帝玉座跡」の説明には・・・
中野町六所神社北側天竜川堤防沿いに「玉座迹」と記された碑と「明治大帝御聖蹟」の石柱が建っている。
明治天皇が北陸東海地方の巡幸の中で、明治11年11月1日に天竜川堤防修築のため設立された「治河協力社」の建物内で休憩した。その際、天竜川の治水に尽力した功を賞して金原明善夫妻に拝謁を賜り、紅白縮緬を下賜された。
建物は明治25年に焼失したが、明治31年、建物跡前面に「玉座迹」が建碑された。
また、明治天皇巡幸の地として「明治大帝御聖蹟」が昭和3年に建てられた。
明治天皇が、明治元年(1868)10月3日御東行のさい、ここで明善の治水の功績を称して、紅白縮緬(こうはくちりめん)が下賜された。これを記念して、明治11年(1878)11月1日に高橋佐五郎を発起人として、行幸記念碑が建てられた。
つまり、明治天皇が当地を訪れた記録が残っているのは明治元年(1868)と同11年(1879)の2回。「玉座迹」の碑が建てられたのが同31年(1898)だったようです。
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