『半分、青い。』岩村城下町を歩く⑪―天正疏水と岩村醸造
人々の暮らしに水が欠かせないこと、標高711メートルの山頂にあった岩村城の本丸の井戸が涸れることがなかったことは前回紹介した通り。水を大切にした岩村の暮らしぶりは、城下町に残された「天正疏水」からも見えて来ます。
岩村で、戦国時代に整備が進んだ都市計画の名残が「天正疎水」。「疏水」とは、灌漑や給水のために人工的に造られた水路のことですが、岩村城下町については、戦国時代以前は城の北方にあった城下町を、天正4年(1576)に城の西方へと移転した歴史があり、町並みの建設に先立って工事がされたのが今も残る「天正疏水」です。
「女城主」や「ゑなのほまれ」で知られる岩村醸造があるのも、水に恵まれた岩村ならでは。今も400年前に掘られた井戸から汲み上げた天然水を使って酒造りが行われているそうです。
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