北遠に残る「明善」の名②―旧「明善橋」
金原明善翁と言えば、天竜川の治水事業に尽力し郷土の偉人。天竜川上流の森林調査を行い、当時の豊田郡瀬尻村の御料林を借り受けて植林に着手し、現在の天竜美林を育てたのは、よく知られたところ。
その「明善」の名が残る橋が、龍山町瀬尻新開のペンション「龍山ふるさと村」の入口に架けられていました。しかも、現在の「明善橋」の横には、少し低い位置に「昭和三十四年十一月竣功」とされる旧「明善橋」も。
かつての瀬尻森林鉄道新開線が敷設されてたのが、この辺り。昭和24年(1949)に運用が開始され、同38年(1963)に廃止されるまでの14年間、国有林内の全長約1.5キロをガソリン機関車が走っていました。
この旧「明善橋」は、この機関車のエンジン音を聴いていたことになります。その旧「明善橋」は枯れ草で覆われ、「龍山ふるさと村」も閉鎖状態。北遠の衰退は、金原明善翁の想像を超えて深刻化の一途を辿っています。
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