明治維新後の磐田⑤―生命保険の発案者
赤松則良は長崎海軍伝習所で測量術・航海術などを学び、万延元年(1860)には日米修好通商条約批准書交換の使節団に随行し、咸臨丸で渡米。その後、オランダ留学も経験し、日本近代造船技術の先駆者としても知られています。
こんな則良には、もう1つ、意外にも数学者の顔があったのをご存知でしょうか?
日本の生命保険事業の始まりは、慶応義塾大学の創始者、福沢諭吉が慶応3年(1867)に著わした『西洋旅案内』でヨーロッパの近代的保険制度を紹介したことがきっかけとなりました。
つまり、契約者が年齢ごとの死亡率に応じた保険料を支払うことで、保険会社が受け取る保険料と保険会社によって支払われる保険金が均衡する仕組み。明治2年(1870)日本で最初に生命保険料を数理的に計算して、この仕組みを具体的に紹介したのが、実は数学者としての赤松則良だったのです。
日本で最初の生命保険会社は、明治14年(1881)に設立された明治生命。同21年(1888)に帝国生命(現在の朝日生命)、翌22年(1889)に日本生命が設立されています。
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