天竜川が気多川と合流するあたりの、竜川村、千草(ちぐさ)に、『七つ釜』と呼ばれる大きな渕がある。
そこは天竜川の右岸の岩肌が、大きく七つのカーブを描いていて、その凹部分の所にできたそれぞれの渕を、村人は昔から“釜”と呼んできた。そしてそれは上流から、一の釜、二の釜、三の釜・・・・・・とかぞえられ、合計七つで一つの大きな渕を成している。
さて、昔のことである。
七つ釜には竜神が住んでいると、村人はうわさしあっていた。
それで天竜川を上り下りする船頭は、この七つ釜を、大変おそれていた。
特に一の釜あたりは、川底も知れないほどの深さで、急流が渦を巻き、船や筏が水中に引きずりこまれるのも、珍しいことではなかった。
村人はそのたびに、
「竜のしわざずらか。」
と、うわさした。
また、釜と釜の間の凸部分のところで、突き出た岩の上に、頭を乗せて寝ている竜神を、ほんとうに見た者もいるという。
それで村人たちはその岩を、“へび岩”と呼び、そのあたりには近付かないようにした。
ところが、七つ釜の竜神に、大変お世話になっている人たちもあった。
それはこの渕の近くの川べりに住む、ある農家の人たちであった。法事や祝い事で人寄りがする時、この家の人が七つ釜の渕に行って、
「どうか、三十人前の、お膳とお椀を貸して下さい。」
というふうに、竜神にお願いすると、次の日の朝、渕のそばにちゃんとそれらが揃えて置いてある、という具合であった。
「七つ釜の竜神は、親切な竜神じゃ。わしらにゃ、何でも貸して下さるでのう。」
その家の人々は、いつも竜神に感謝して、くらしていた。
そういうことが続いたためか、村人たちは、その家そのものを“釜”、と呼ぶようになった。
けれどもある時、何人前かのお椀を貸(原文のまま)りた主が、お椀二個を家に置き忘れたまま、渕に返してしまった。
夕方になってそれに気付いた主は、あわてて残りのお椀を持って、渕に向った。
しかしすでに時おそく、竜神のいかりで、渕は百雷のように激しい音をたて、波は逆巻き、水中からは、まっ赤な光が立ちのぼっていた。
主は、おそろしさで足がすくみ、とても渕に近づくことはできなかった。
そしてそれは、その夜一晩中、続いたのである。
主は、翌朝早速、残る二個のお椀を渕に返して、
「竜神さま、どうぞお許し下さい。」
と、一生懸命におわびをしたが、
竜神はもう二度と、膳椀を貸してはくれなかったという。(「ふるさとものがたり天竜・第5章竜川地区」より)
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国道152号の横山橋手前を右折すると県道285号に入ります。道なりに進み気田川橋を渡ると、千草の集落に出るのですが、国道152号の横山トンネルを通って龍山や佐久間、水窪に向う限り、通ることもなかれば見ることもない集落です。
曲りくねった天竜川沿いの道の脇に、正面が川を向き、道路に背を向けた祠があります。その中に納められている丸石を、地元の人たちは「釜の神」と呼んでお祀りをしています。
「丸石」信仰は、ここでは「貸し膳椀」の逸話と一緒になっているようです。