池主神社(松岡霊社)を訪ねる⑦―「大池量水標」

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2018年07月05日 04:38

 静岡産業大学の北西に1本の石柱が建ち、正面には「大池量水標」の文字、横面には目盛が刻まれています。

 磐田市中大原の池主神社(松岡霊社)境内の「大池量水基準標」、二之宮鹿苑神社境内の「大池量水標」とともに、上流域と下流域の集落住民の間で、水を巡る諍いがあったことを物語るもの。

 大池南には水門が設けられ、量水標の目盛3尺(約90センチ)に水位が達した時、下流域の田畑への灌漑が許可され、大池の近くの水田の高さは2尺8寸が上限とされていました。

 もしも大雨が降り、水位が3尺を超えた場合に放っておけば、上流域の田畑は水没してしまいます。水門を開けて下流域へと流せば、水害を防ぐことにもつながるのですが、3尺の数字を巡る判断は、微妙な問題です。

 この「3尺」の基準値は、明治28年(1895)~同33年(1900)の裁判の結果に定められた数字。目盛の上か下かで譲れない利害が、双方には数々あったことでしょう。そんな事情も、集落が細分化した理由の1つ。

 平成の大合併で実施された広域の統合は、そんな歴史を考慮することなく進められましたが、行政の境に捉われずに地域を考えることで、新たな魅力を掘り起し、活性化へのヒントが掴めればと思っています。

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