「七人の猟師」の言い伝え②―南澤山七人猟師

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2018年12月08日 04:34

 「気をつけて!」。大岩の下の「七人猟師」の碑を目指して、山の斜面を駆け上がりました。大岩の下の杉林は伐採がされていましたので、目標がはっきりと見えます。

 意外と小さい石碑の碑面には、向かって右に「南澤山七人猟師」の文字が刻まれています。そうか、これが「七人猟師」の碑。上には右から左へと「奉納」、中央に「山野神神社」、左には「七拾五人眷属方」。「明治参年十二月建之 大石幸吉」の文字も刻まれ、建立年月は明治3年(1870)12月。世の中が、神仏分離や廃仏などに揺れた時代です。

 「七人猟師」によく似た話は、佐久間町浦川地区の夏冷沢にも「七人塚」と呼ばれる塚があり、さらに、犬7匹も一緒に死んだと言って、塚の脇にその霊が祀ってあるとのこと。

 猟師「七人」の「7」の数が気になりますが、「七人御先(みさき)」などと同類の禁忌であったのでしょうか?『たつやま昔話』で語られる「七十五の谷」の「75」は、石碑に刻まれた「七拾五人眷属方」や「笠鋒坊大権現」や「三尺坊大権現」の「七十五眷属」と符合します。

 「真っ直ぐ行けば平沢。こっちへ曲がれば柴や熊の方に行ける。わしは、7人は死んだんじゃあなくて、他所に行っただけだと思うけどね」。

 不思議な「七人の猟師」の石碑は、地元の人に案内していただけなかったら、見つけることはできなかったでしょう。ありがとうございました。

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