有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)に従い、討幕のため江戸に向った神官グループ「遠州報国隊」の中心となって活動した大久保春野については、「大久保春野の筆跡が残る慰霊碑」で紹介した通りですが、浜松八幡宮にある忠魂碑にも大久保春野の文字が刻まれていることが分かりました。
日露戦争の開戦は明治37年(1904)2月8日で、終戦は明治38年(1905)9月。忠魂碑の大久保春野の肩書は「陸軍中将従三位勲一等功二級男爵」とされていますので、建立時期は「男爵」を拝命した明治40年(1907)から、「従二位」に叙された大正4年(1915)の間。
この忠魂碑の裏面には「日露戦役戦病死者」の名が刻まれ、日露戦争に従軍した軍人たちは、戦いの中で命を落とした者のほか、劣悪な衛生環境による健康上の理由により戦病死した者も多くいたことが知られています。