庚申寺境内に建てられた「宮口のむかしのまちなみ」によれば、「・・・西ノ谷池と蛭沢池から引いた水路が、まちなみの外側を囲むように流れている様子が描かれています。また、絵図には描かれていませんが、参道の側溝や、参道沿いの家々の中を縦貫する排水路が整備されており、今も一部が利用されています。」と書かれています。
浜北の山辺には多くの湧水と野池が点在しています。浜北地区に旧石器時代から人々が暮らした痕跡が残るのは、これらの水があればこそ。
それを知って見れば、庚申寺境内にある池と思ったのは、実は水路。庚申寺の庚申堂創建には水源を護る願いも込められていたのではないでしょうか?池から人工的な水路を通して引かれた水が、門前町の人々の暮らしを支えて来たのです。