「天竜川で木材を運んだ筏師らが使用した明治期の船宿が9日、浜松市天竜 区二俣町鹿島の展示施設『筏問屋田代家住宅』に隣接する同所で初めて一般公開された」との新聞記事を受け、早速、その船宿を訪ねてみました。
船宿の建物は、明治30年(1897)築木造2階建とのこと。まったく同じ間取りの建物が2棟並んで建てられ、外観上は長屋のような造り。船宿の役割を終えてからは、2軒の家として使用されていたとのことです。
明治30年頃には国鉄東海道線が開通していましたので、天竜川河口の掛塚湊はほとんど機能せず、天竜川上流から流された木材は磐田市池田か浜松市東区中野町に集積したはず。その筏を操った筏師たちの宿泊先に使われた船宿が北鹿島に残っていたのです。
船宿には筏師だけではなく、久根や峰之沢の鉱石船の船乗りたちも宿泊していたかも知れません。「みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚」の一員として、旧廻船問屋津倉家住宅公開の参考になればとの思いで訪問しました。