三岳城跡を訪ねる②―三岳城跡の看板に書かれた「南朝方年号」

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2017年07月22日 05:51

 三岳神社境内には、「国指定史跡 三岳城跡」の看板が建てられていました。

 南北朝時代、南朝の後醍醐天皇は皇子たちを各地の有力者のもとに派遣して味方を募りました。延元2年(1337)、この地の井伊氏を頼ったのが宗良(むねなが)親王です。井伊氏は親王とともに南朝方について、北朝方と戦いましたが、興国元年(1340)に落城しました。(「国指定史跡 三岳城跡」)

 気になるのは、解説文の最後に書かれた「*延元・興国は、南朝方の年号です。」の表記。

 確かに、「延元」「興国」などの元号(年号)は、南朝方で使われたもので、北朝方では「延元2年」は「建武4年」、「興国元年」は「暦応3年」に当たります。

 しかし、北朝方と思われている明治天皇が、三種の神器を所有していた南朝が正統であると裁断し、明治44年(1911)2月4日には帝国議会で南朝を正統とするとの決議がなされて以降、いわゆる南北朝時代の元号については、併記するか南朝方の元号を使うのが一般的になっています。

 わざわざ断っているところが、この看板のポイント。もう1枚の「井の国 引佐町散策」の横には「⇐史跡 三岳城跡 これより500m」とありましたので、矢印の方向に向かって歩き始めました。

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