「博打の木」の横にある門は裏門。門は文政6年(1823)築とのことですが、門扉はもっと古いもののようです。
門扉の格子に残る無数の穴は、豊臣秀吉の軍勢により韮山城の砦の1つだった江川邸が攻められた時に出来た弾丸や矢の痕。もしその通りだとすれば、天正18年(1590)以前の門扉と言うことになります。
さて、そんな江川邸の当主だった太郎左衛門英龍(坦庵)の姿は、「江川坦庵公」の銅像で想像してください。銅像が建てられているのは、韮山反射炉のそば。反射炉を背にして、凛々しく立つ坦庵の前は、記念撮影の人気スポットになっているようです。