気田森林鉄道が走ったのは、幅762ミリの狭い軌道の上。伐り出した木材を積んだ台車を連ね、山肌を擦るように進み、沢を渡り、時には人や荷物も運んでいました。
1枚目の写真は、木造の鉄橋です。「都沢地内」と書かれていますので、気田川の源流に近い辺り。鉄橋とは言え、あの「仙郷橋」のようなコンクリート橋でもなく、Ⅰビームの鉄の橋でもなく、材料に事欠かない木造の美しい橋です。
2枚目の写真「塩白沢 森林鉄道都沢線 橋の架替え」には「森林鉄道の橋は木橋が大部分で、古い橋は適宜架け替えられた。材は近辺の立木を伐採。すべて勘と経験により架設。ここに設計の資料はなかった」と書かれています。
3枚目の写真は「骨原」とされ、明神峡の近くと思われますが、この橋も木橋。
4枚目の写真は「明神付近」とされています。軌道に敷かれた枕木に細い丸太が使われているのが分かります。
つまり、私たちが「鉄道」の言葉から得るイメージと実際の「森林鉄道」とは、ずい分違っていたのかも知れません。機関車の運転手は、さぞや技術と勇気のいる仕事だったのでしょう。自らの命と山の財産を細い2本のレールに託して行ったり来たり・・・。一体、どのくらいのスピードで走ったのでしょうか?
「鉄橋」とは「鉄製の橋」じゃなくて「鉄道の橋」の意味。「木製の橋」だって、「鉄橋」なんです。