岐阜県美濃市「うだつの町」を訪ねる⑭―「川端地蔵」
そして、「前野渡舟場跡」の岸側には「川端地蔵」の祠があり、大きな石のお地蔵様が祀られていました。「川端」とは文字通り「川岸」「川の畔」の意味。ここに渡舟場があったことと深い関係があるようです。
解説看板によれば・・・
川端地蔵尊のいわれ
美濃市佛教会
桜の名所である、美濃市小倉山の麓に流れる清流長良川で、昔から夏になると青少年が泳ぎ体を鍛えております。然しながら、その反面痛ましい水の犠牲者が多く出ました。
当時の清泰寺住職高林玄宝老師は深く是を憐れみ、水難者の霊を慰めると共に今後は水難者のでないようにと、川端に守護の延命地蔵尊の建立を念じ、多くの美濃市民に呼びかけ、浄財を募り、昭和二十七年に老師の指導の下に美濃市佛教会の方々と協力して、山紫水明、風光明媚な長良川の川端に、等身大のお地蔵さんの建立を致しました。
それ以来、不思議にも当地は水難者はパッタリなくなり美濃市民を感動させました。
老師の偉大なる慈悲心はこうして見事に実を結んだのであります。
老師は、このお地蔵さんのお祭りを佛教会の年中行事として、毎年春、秋のお彼岸と、八月一日の川祭りの日にねんごろに川施餓鬼、地蔵流し等の供養を営まれました。
老師亡き後も今日に至るまで、美濃市佛教会の事業として継続致しております。
平成十七年十月吉日
・・・と、ちょっと長くなってしまいましたが、これが「川端地蔵」のいわれ。水運の要所には、いろいろな歴史があり、これからも長く語り継がれていくのでしょう。
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