地域づくりの参考に!「みんなと倶楽部」研修会②―地域の宝
流れが急で岩場や瀬などの難所が多い天竜川では、中世までは丸太を組んだ筏が主流。やがて慶長12年(1607)、徳川家康の命を受けた豪商角倉了以によって天竜川が開削され、川舟路が完成しました。
木造家屋が立ち並ぶ大都市へと進化した江戸では、屋根板として使用された柿(こけら)板が大人気。江戸の木場問屋から掛塚の廻船問屋が注文を受けると、山元は柿板を製材し、角倉船に積んで掛塚まで運び、掛塚湊から江戸へと出荷されて行きました。
そして、江戸時代末期になると、横山村の青山善右衛門は自ら柿板を加工する製材所を開設し、仲間たちと廻船も共同所有。江戸との取引を行なうようになったとのこと。
地域材をふんだんに使って建てられた青山家から外を見れば、辺りは杉やヒノキの山また山。青山家のガイドをしていただいた人たちは自然や歴史について学び、山や川を「地域の宝」と考えているようです。元々、運び出す北遠の木材がなければ、掛塚湊など必要なし。木を植えて育てて伐り出す人、流れ下って来る川がなければ、掛塚が交易港として繁栄することはなかったのです。
ヒノキの長い磨き丸太に木目が美しい屋久杉の天井板。私たちも、もっともっと掛塚の歴史を学び、多くの人に「地域の宝」を紹介して行けるよう努力しなければいけませんね。
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