佐久間の小学校の歴史②―旧佐久間の3小学校

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2020年05月22日 05:07

 【2011年3月14日】佐久間ダム建設中に「天竜川水系総合開発協力会」から発行「日本一の佐久間ダム」(第三版 昭和三十年十一月十日発行 頒価五〇円)の中に、興味深い「佐久間ダム附近案内図」が掲載されています。

 「佐久間ダム」の完成は昭和31年(1956)ですから完成前に発行され、「案内図」には付替え前の飯田線「佐久間駅」と「佐久間発電所」とが重なるように描かれています。佐久間の集落が囲み線で描かれ、「役場」と「圓通寺」と思われる地図記号の右側に「文 佐久間中学校」の文字が見えます。

 これが前回「アルバムに残された佐久間小と佐久間中」で紹介した佐小と佐中の位置だったはずです。よく見ると、旧「中部小学校」と旧「半場小学校」も「文」の地図記号で表わされています。

 中部小も半場小も、羽ヶ庄分校と同じように、元を正せば佐久間小の分校として開校されました。羽ヶ庄分校以外は、その後、独立した小学校でしたが、「佐久間ダム」完成の年、昭和32年4月には佐久間小、中部小、半場小の3校が統廃合され、新「佐久間小学校」が誕生しました。

 すると、佐久間中学校の位置に佐久間小学校も併設されていたはずですから、この「案内図」は統合直前の3校を表わした貴重な史料かも知れません。

 *記事は、私が書いていたNPO「天竜川・杣人の会」のブログ「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」に掲載したもの。同ブログは終了しましたので、過去記事を再掲載させていただきました。

 【関連記事】佐久間の小学校の歴史①―アルバムに残された佐久間小と佐久間中
 【関連記事】佐久間の小学校の歴史③―旧「佐久間小」跡の校門

関連記事