北遠の庚申信仰⑤―庚申の本尊「青面金剛」
浜松市天竜区水窪町の竜戸(りゅうと)集落の祠の中、他の石仏たちと並び、庚申の本尊・青面金剛石像が2基祀られていました。
青面金剛とは、私たち日本人の感覚からすれば、病を流行らせる悪鬼であり、死神とも言える青鬼です。その青面金剛を本尊とする庚申信仰が室町時代に盛んとなり、江戸時代に爆発的に流行した背景には、一体何があったのでしょう?
青面金剛像に彫られている日輪や月輪は、「庚申信仰」が「月待ち」「日待ち」などの習俗とも混淆し、次第に「庚申待ち」という念仏講的色彩の強いものとなって行ったことを物語っています。
同じく猿と鶏の姿は、「庚申(かのえさる)」の夜から、次ぎの日、すなわち酉(とり)の日の朝まで籠るからだとか、朝に鶏の声を聞くまで念仏を唱えるからだとも言われています。
そんなことを考えながら、あらためて竜戸の青面金剛像を見てみると、ともに六臂の立像です。向かって左の石像が掲げる円盤には、日輪と月輪とが彩色で描き分けられていたと思われます。
右の青面金剛は、弓矢やショケラを持っているようです。足元に鶏が、台座には三猿が彫られています。よく見ると、彩色されていたと思われる朱色も残っています。
道祖神のように路傍に立つ野仏となれば彩色はすぐに剥げてしまったことでしょう。彩色が残っているということは、祠に祀られたということ。水窪の山里では、青面金剛はその名の通り、青い顔をして立っていたのかも知れません。
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