北遠に残る「明善」の名④―春野山の村の「明善道」
「川を治めるには、まず山を治めよ」と語り、私財を投げ打って天竜川の治水のため、龍山や佐久間での植林を進めた金原明善翁は、春野でも植林をしています。その証拠とも言える「明善道」の名が、「春野山の村」に残されていました。
それは、「山の村」を東西に延びる道。管理棟の辺りに、小さな看板が立てられ、「明善道」を紹介しています。
ここを東西に走る道は、「明善道」または「小俣(おまた)街道」と呼ばれ、金原明善が、小俣谷に植林をするために開通させた道です。
この歴史の道には、杉やヒノキのチップが敷き詰められていますので、歩く度に心地よい木の香りが漂って来ます。今度の休日、林業が栄え、山が豊かだったあの頃を偲び、優しい木漏れ日の道を歩いてみませんか! 足にも心にも優しい「明善道」です。
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