「光明電氣鐵道沿線案内圖」に描かれた北遠の歴史①―女學校
磐田市見付の佐口行正さんからお借りした「光明電氣鐵道沿線案内圖」は、昭和3年(1928)7月発行。 「光明電気鉄道」が、事実上の終着駅となった「二俣町駅」までの全区間開通したのは、昭和5年(1930)でした。昭和3年には、とりあえず開業には漕ぎ付けましたが、それは「新中泉駅」―「田川間駅」の間だったはずです。
ところが、この「光明電氣鐵道沿線案内圖」には、すでに「阿蔵」―「二俣町駅」―「秋葉山駅」―「船明駅」が描かれています。さらに拡大してみると、「阿蔵隧道」の北には「栄林寺」、「二俣町駅」の北には「女學校」の文字も。こんなところに「女學校」?さて、この「女學校」とは一体・・・?
実はこの「女學校」とは、平成26年(2014)に廃校となった「静岡県立二俣高校」のこと。二俣高校は大正4年(1915)、「静岡県磐田郡二俣町立実科高等女学校」として開校した歴史があります。その後、「二俣実科高等女学校」「二俣町ほか12ヶ村組合立実科高等女学校」「県立二俣高等女学校」と改称。昭和27年(1927)からは、「県立二俣高等女学校」を名乗り、「二俣高等学校」となったのは同23年(1948)。「光明電氣鐵道沿線案内圖」が発行された昭和3年には、確かに「二俣高等女学校」、つまり「女學校」だったわけです。
手前に見える家並みは、二俣の街。二俣川には2本の橋が架かり、春野に向う道には、ボンネットバスが2台描かれています。現在の「鳥羽山」は「本城山」と書かれ、手前の「鹿島」とは、明治44年(1911)に竣工した吊り橋「天龍橋」で結ばれていました。
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