旧「横山橋」の歴史を辿る③―ピーヤと錆びたケーブル
昭和50年(1975)に完成した滝上工業株式会社製のワーレントラス橋「横山橋」について、「この橋って、昔は確か小学校の向こう側にあったよね。渡って右側に小学校があったもの」との情報を得ました。
「現在のこの橋が架け替えられたのは確か。その前の橋は昭和28年(1953)に竣工していたはず。じゃあ、場所が少し違っていたんだ」。
横山小学校に残された旧「横山橋」の石の銘板のことは、すでにお伝えした通りですが、旧「横山橋」がどこに架けられていたのかについては、触れませんでした。「ちょっと、小学校の向こう側に行ってみようか?」。
国道152号横山の信号を左折、県道295号を進み、信号を過ぎた後さらに左折、県道360号で横山川を渡り道なりに南進し横山郵便局の先で道は途切れます。「堤防を登ってみる?」「お年寄りがいるから聞いてみようか?あの~、ちょっと、教えてください」。
「横山橋って、昔はこっちに架かっていたと聞いたんですけど・・・?」と切り出してみました。すると、「そうだよ。そこの道から、真っ直ぐ向こうに架かっていたんだ」「やっぱり。何か、残ってはいないんですか?」「吊り橋のワイヤーが残ってるよ」「吊り橋?」「そうだよ。吊り橋だったんだ。そこのピーヤ、コンクリートに金属のワイヤーが見えるだろう?」。そう言えば、先代の旧「横山橋」はランガートラス併用吊橋だったはず。どうやら、ケーブルを繋ぎ止めていたコンクリート部分、ピーヤだったようです。
「天竜市誌史料編」によれば、横山村には・・・
天保11年(1840)の家数144・人口688、大半は農業に従事したが、農間渡世に舟・筏に乗る者60人、杣木挽(そまこびき)53人、他稼ぎ40人などがいた。
林業よりも、農業、水運に関わる人たちが多かった様子が伺えます。
「昔は、船下りがこの下から出ていたんだ」との話を聞かせていただいたお年寄りも、「俺は、海軍の志願兵で終戦を迎えたんだ。もう二度とあんな無茶なことやっちゃあいかんな」と・・・。吊り橋を支えたケーブルは赤く錆びついていましたが、横山のお年寄りは、嬉しいことに、まだまだ錆びてはいませんでした。
3枚目の写真は、『龍山郷土文化保存伝習施設』に展示されていた「横山渡船場」の写真です。
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