西鹿島の椎ヶ脇神社について①―闇淤加美神(くらおかみのかみ)

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2019年02月14日 05:37

 私の住む磐田市堀之内(旧竜洋町堀之内)堤外(つつみぞと)とは、天竜川の東派川(ひがしはせん=東の分流)の堤防があったところ。昭和13年(1932)に締め切られるまでは、天竜川の分流が流れていました。椎ヶ脇神社が祀られているのは、ほぼ堤防のあった場所に当る位置。浜松市天竜区二俣町鹿島に架かる鹿島橋のたもとの石段を登ったところに祀られている椎ヶ脇神社の分社です。

 西鹿島・椎ヶ脇神社の社伝によれば・・・

 延暦20年(801)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討に向かう折、天竜川の水かさが増し渡ることができなかったので、土地の人たちが新たに川船を作って将軍を渡した。将軍は大変喜ばれ、人々のために川の水の引くことを祈り、この地に闇淤加美神(くらおかみのかみ)をお祀りした。すると時を経ずして川の水が引いて洲が現れた。

 この洲より鹿が初めて川を渡ったので「鹿原」と言い(今鹿島という)、またその川を「鹿川(ししが)」「鹿ヶ淵」と言う。これより神名を「猪家(ししが)神社」と言い、後に俗称「椎ヶ明神」または「椎ヶ脇明神」と云うことになった。「椎ヶ脇」は「鹿ヶ脇」の転訛したものである。

 古来天竜川流域の水利を守り、航行する船の安全を保ち、堤防の破壊を免れることができた。そのため水害の多い村々は、みなその分霊をお祀りすることになった。


椎ヶ脇神社

椎箇脇神社

椎河脇神社

椎河脇神社


 ・・・とのこと。ところで、あなたの家の近くにが祀られていますか?祭神は闇淤加美神(くらおかみのかみ)ですから、掛塚・貴船神社の高龗神(たかおかみのかみ)と同じように水難避けの願いを込めた神社。椎ヶ脇の「ヶ」の文字については、正面鳥居の神社札には「椎箇脇神社」、神門と拝殿の棟瓦には「椎河脇神社」とされていました。(*写真をクリックすると拡大します)

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