遠信国境・青崩峠を歩く⑪―武田信玄公腰掛岩
青崩峠に通じる石畳の道、途中に建てられた標柱には「武田信玄公腰掛岩」と刻まれています。甲斐の武田軍が青崩峠を越えて遠州に侵入したのは元亀3年(1572)のこと。この時、信玄が腰を下ろしたとされる石ですが、最近の研究では、武田軍の本隊は富士川沿いに下って遠州に入ったとも言われています。
しかし、家康の腰掛岩は各所に伝えられていますが、信玄の腰掛岩が水窪にあるのは、北遠の中でもとりわけ水窪には、武田信玄による支配とその影響が色濃く残っている証と言えるかも知れません。
青崩峠は、秋葉街道の遠州最北の地。それを知っているのは私たちだけでなく、「深山(ミヤマ)」の名が冠されたミヤマタニソバも。かつて、この峠を越えた旅人たちを、ミヤマタニソバやヤマクワガタは見ていたのだろうと思います。
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