次に考えたのは、この途中で折れてしまうほどに薄い石碑を刻んだ石工のこと。石碑の左下にありました。「露木宗吉」の文字です。
これまでに見て来た原田久吉翁に関する石碑のうち、少なくとも二本杉峠、中部小学校跡、句碑3基は露木宗吉が彫ったもの。横浜の本覺寺にある原田久吉翁の墓の墓碑銘を刻んだのも露木宗吉でしたので、この2人が仕事を通じて深いつながりを持った者同士であったことが推測できます。
残るは原田橋の奥に立つ「種徳賑郷」の碑ですが、これはどうでしょう?残念ながら、碑文を正確に読み取ることもしていません。原田橋崩落事故の後、橋のたもとにある顕彰碑には近づけません。
三代目原田橋が完成したら、必ず確認してみようと思っています。