三信鉄道が国により戦時買収された昭和18年(1943)に発行された「三信鉄道記念寫眞帖」の最後の3ページは、時代を反映した「應召者」のページになっています。
「應召者=応召者」とは、召集令状を受け軍務に就くために指定地に行った人のこと。他のページには、昭和18年当時、三信鉄道の業務に就いていた人たちが制服姿の集合写真などで紹介されていますが、「應召者」のページには学生服姿も含まれています。
「電氣課」12人、「保線課」「運輸課」13人、「本社員」1人。2ページ目の背景には、当時の新聞が敷かれ、その見出しには「新嘉坡陥落」の文字が躍っています。
昭和16年(1941)12月8日の日英開戦後、マレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、翌年(1942)2月15日、イギリスにより支配されていた「新嘉坡(シンガポール)」を奪取することに成功しました。これが、シンガポール陥落。この進撃を支えたのは、実は植民地支配からの開放を目指した現地の人たちだったのは、忘れかけた歴史的な事実。欧米の白人たちによる植民地主義に一矢を報いた勝利でした。
・・・などと書くと、まるでこのブログが「大本營發表(十五日午後十時十分)」みたい。
「應召者」39人のうち、何人が生きて本土を踏むことができたのでしょうか?「百間洞ヨリ見タル聖岳ノ全貌」を再び見ることができたのは・・・?