磐田市竜洋中島・蓮覚寺山門②―掛塚の大工・小栗傳吉
山門の前の「史跡案内」には、次のようにも記されています。
現在の本堂は文化一三年(一八一六)、表門は掛塚住人小栗傳吉により天保十三年(一八四二)に建立され、安政の大地震(一八五四)で倒壊したため、そのまま引き起こし、参道が変わったため明治十年現在地に移転した。様式は薬医門で、町内最大最古の山門である。
薬医門とは、屋根を支える4本の柱のうち、本柱となる前の柱が、後方の控柱よりもやや奥に下がり、加重を多く支える構造になり、それだけ正面の軒を深く造った門。本堂は南向きに建てられているにも関わらず、門は東向きなのは、「参道が変わったため明治十年現在地に移転した」のが理由。
掛塚の宮大工・小栗家とは、小栗傳藏、小栗岩十、そしてのちに鈴木傳重郎(重直)を名乗ることになった小栗傳十などの系譜であるのは間違いないと思います。
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