古い絵葉書に見る三信鉄道①―佐久間駅

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2020年04月01日 05:19

 昭和9年(1934)11月11日、現在のJR飯田線の元となった三信鉄道が三信三輪駅(現・東栄駅)から延伸し、その終着駅となったのが現在の中部天竜駅。ただし、開業当時は「佐久間駅」としてスタートし、中部天竜駅(なかっぺてんりゅうえき)へと改称されたのは翌10年(1935)5月24日でした。

 さらに、同18年(1943)8月1日 、三信鉄道が飯田線の一部として国有化されて国鉄の駅となり、中部天竜駅(ちゅうぶてんりゅうえき)に呼称変更されたというのが、中部天竜駅の沿革です。

 中部天竜駅が「佐久間駅」を名乗っていた証拠の一つは、開業当日のスタンプ。「昭和9.11.11」の日付の入ったスタンプには確かに「佐久間駅」の名前が入っています。

 そして、もう一つの証拠は、この古い絵葉書。このモノトーンの絵葉書は、「南天龍峡下り 天龍川沿岸久根銅山正門 イサミ寫真館發行」の1枚。「(天龍川沿岸)中部天龍驛頭(ホームに三千余年前の敷石帯現る)」との説明が印刷されています。

 島式のホームに電車が1輌。ホームには木造の待合所が建ち、その横に立つ電柱に貼られた駅名には平仮名で「さくま」。(*掲載の写真は絵葉書をスキャンしたものですので、拡大しても文字が読めません)。「(ホームに三千余年前の敷石帯現る)」とは半場遺跡のことですので、間違いなく現在の中部天竜駅です。

 これが分かるのも、古い絵葉書に使用されている写真があればこそです。

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