秋葉山、久保田道を行く⑤―二十四番、二十五番、二十七番の石仏
西国三十三所霊場の並びの順からすれば、次に現われた石仏は「二十四番」の真言宗中山寺派大本山・中山寺(なかやまでら)。本尊は十一面観音のはずですが、肝心な頭部が壊れ、蓮華を持つ姿から聖観音のようにも見えます。
造立は明らかに「文化十二年」とあり、寄進者として「森下」の名が見えます。
「二十五番」は兵庫県加東市の清水寺(きよみずでら)。本尊は千手観音ですので、この石仏と一致します。ご詠歌は「あはれみや あまねきかどの 志奈じなに なにをかなみの ここにきよみづ」と刻まれているようです。
この石仏での注目は、「東雲名村 宝藏院」と読める文字。一山向こうの秋葉道の起点となる東雲名ですが、「宝藏院」なる寺が見当たりません。慶応2年(1866)の調査によれば、能善寺のほかには、法泉庵、東泉庵、源性庵など当時すでに曹洞宗となる寺の名が残されていますが、その中に「宝藏院」の名はありません。もしかしたら、それ以前にあった修験寺院であるのかも知れません。
「二十七番」は如意輪観音を本尊とする圓教寺(えんぎょうじ)。ご詠歌は「はるばると のぼれば志よ志や(書写)の やまおろし まつのひびきも みのり(御法)なるらん」でしょうか?寄進者には「○○○庵泰寛」と寺院名のような名が見えます。
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