「金吾」奥山金吾正定則について③―金吾八幡宮の鳥居と手水鉢
長尾の金吾八幡宮の目印の鳥居は、国道152号からは生い茂った木の陰に隠れ見ることができません。それは、社殿と比べるとかなり大きく、金吾八幡宮の格式の高さが想像されます。
鳥居の形式からすると、笠木の上に鳥木が乗り、両端に反りがあり貫きが柱の外にまで突き出た美しい「明神鳥居」です。鳥居は神域の入口ですから、鳥居を抜ければ、そこからが結界、神の住む領域です。
また、神社に欠かせないのが、手水鉢。常夜燈の竿のような石に「金吾八幡宮」の文字が刻まれ、その上に舟型の水鉢が乗る珍しい形です。不安定にも見えますが、蓋を開けると中には浄水が溜っていました。
内山真龍が記した『遠江国風土記伝』によれば、「建武世乱の時、後醍醐天皇の御子妙法院由幾良(ゆきなが)親王ここにいでまし行宮を建つ。その跡を大裏(大里)といい、御旗揚げし地を小畑と言い、その名今に存す。供奉の侍奥山金吾正定則、久頭郷城(高根城)に住み親王に奉仕す」とあります。
この「奥山金吾正定則」こそが、長尾(なごう)の金吾八幡宮に祀られている武神と思われます。
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