龍山町戸倉の東福寺観音堂を訪ねる③―立川流の俤
私が立ち寄った日、ちょうどJA遠州中央の職員が2人、観音堂の調査に訪れていました。そのため、お堂の戸が開けられていましたので、中を覗くことができました。
観音堂の中には、3つの厨子が。行基菩薩が彫ったと伝えられる観世音菩薩像は五尺余とされていますから、納められているのは真ん中の厨子でしょうか?
気になるのは、逗子の上の落とし掛け。左右それぞれ1枚の板を雲形に切り抜き、逗子の屋根の姿が見えるように細工してあります。
観音堂を諏訪の立川和四郎冨棟が造ったとすれば、この細工にその俤(おもかげ)を見ることができるのかも知れません。
外側から見れば、軒を支える垂木が一重になった一軒(ひとのき)です。この特徴は、やはり冨棟が造ったと伝えられる掛塚大当町の祭り屋台の特徴と一致しています。
しいて言えば、軒を支える雲肘木が立川流でしょうか?
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