光明寺に残る参道の遺物③―「山科賢次郎」

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2018年03月13日 05:51

 「登山里程元標」「○藤萬蔵」と刻まれた石柱と同じ場所には、「山科賢次郎」の名も見られます。 住所として「名古屋市○区沢」の文字が刻まれていますが、「山科賢次郎」が何者であるかについては不明です。

 先に紹介した「尾州キヨス本町 柴山藤蔵」と「○藤萬蔵」はともに名古屋の人。この「山科賢次郎」も同じ名古屋の商人だったとすれば、「水の神」である光明山の信仰は、「火の神」秋葉山同様、愛知県で厚かったことが想像されます。

 【関連記事】光明寺に残る参道の遺物①―「登山里程元標」
 【関連記事】光明寺に残る参道の遺物②―「伊藤萬蔵」
 【関連記事】光明寺に残る参道の遺物④―再利用の幟立石柱と「奥之院 是ヨリ五十丁」の道標

 【関連記事】光明寺の境内散策①―三面大黒天像
 【関連記事】光明寺の境内散策②―「従是光明山道」の道標
 【関連記事】光明寺の境内散策③―筆の跡まで刻まれた文字
 【関連記事】光明寺の境内散策④―尾巖吁枳尼眞天
 【関連記事】光明寺の境内散策⑤―イノシシの背に乗る「摩利支天」
 【関連記事】光明寺の境内散策⑥―関西角力協会の番付額
 【関連記事】光明寺の境内散策⑦―「力道山」の名が残る番付額
 【関連記事】光明寺の境内散策⑧―「摩利支天」の石像
 【関連記事】光明寺の境内散策⑨―「笠鋒坊大権現」の石像

 【関連記事】「尾州キヨス本町 柴山藤蔵」奉納の燈籠

関連記事