「北遠四國八十八ヶ所」の写し霊場「八十八番」は、松原弘法にあった大師堂が移築された宥泉寺(ゆうせんじ)境内にあります。
佐久間ダム建設により水没することになった中洲から、一旦は宥泉寺に移された写し霊場の石仏たちが松山公園に再び移され、昭和58年(1983)、同59年(1984)に足りない札所を追加し、現在に至ったというのが「北遠四國八十八ヶ所」の歴史。
宥泉寺にある「八十八番」の石仏は、弘法大師と四国八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」の本尊、左手に薬壺を持った薬師如来です。
「松山公園」に並ぶ石仏は、古いもので大正7年(1918)と刻まれていましたが、宥泉寺にある「八十八番」の隣りに建てられた石柱には「四国八十八所観音」の文字と「寶暦二申年」と刻まれていますので、西暦1752年の建立です。