松山公園に並ぶ新しい石仏の台座には個人名ではなく「和讃講」の文字が刻まれています。かつては、この和讃講の人たちが中心となり、祭事が執り行われていたとのこと。
この和讃講は、大正4年(1915)に架けられた初代「原田橋」を背景に撮影された松原弘法の写真に写っているこの人たちかも知れません。
山道が大きく西側に張り出したところに「四十四番」の石仏があります。ここから見下ろすと、眼下に見えるのは天竜川と新々原田橋の工事現場。かつてあった松原弘法は、河川内仮設道路の外側、佐久間高校(平成29年度からは静岡県立浜松湖北高等学校佐久間分校)の辺りのようです。
さて、「四十四番」の石仏の石仏があるここらが「北遠四國八十八ヶ所」の中間地点。でも、距離の上では、まだ展望台までの半分には来ていません。以前は藪漕ぎ状態だった遊歩道は、ボランティアの方の草刈りのおかげで、すっかり歩きやすくなっていました。