松山公園は、弘法大師と四国八十八ヶ所の札所の本尊とを並べた写し霊場。巡礼がブームとなった頃、四国遍路に行きたくても行けない人たちの間では、各所に札所の数だけ石仏を建てた新四国霊場なる場を設け、模擬巡礼とも言える参拝が流行りました。
松山公園に並ぶ石仏の始まりには「北遠四國八十八ヶ所」の碑が立ち、「大正七年仲秋」の文字が読み取れます。
石仏の台座に刻まれた年号も、古いものは同じ「大正七年」でしたので、写し霊場は地元の有志が資金を出し合い、大正7年(1918)に造られたものと思われます。
ただし、霊場が造られたのは松山公園ではなくて、天竜川にあった「松原弘法」と呼ばれる中洲。古い絵葉書「(北遠中部風景)松原弘法」にも、石仏らしい白い影と覆い屋、宥泉寺に移築された大師堂のような建物が見えます。