社殿裏手の斜面にはいくつもの石積みが残っています。石積みの上は平場に整備されていたようですから、おそらくここに神妻に暮らす人たちの住居が建てられていたものと思われます。
現在でも、斜面の崩落により林道が荒れ、アクセスには危険が伴う状態ですが、かつては容易に近づけない場所だったはず。しかし、そこに住居を構え、焼き畑農業で生計を立てていた人たちが暮らしていたのでしょう。
焼き畑に欠かせないのは、畑を潤す水。つまり、飲み水には沢の水を汲めば良かったかも知れませんが、畑に雨が降らなければ蕎麦さえも育てることはできません。
神妻で暮らした人たちが降雨を願ったのが、神妻神社だったのに違いありません。